我が家にも家訓があった。「ならぬことはならぬものです」とか「ここに三本の矢がある」とか、そんなご大層な物ではない。出自もわからぬ水飲み百姓の末なので父にとって都合の良さそうな格言・箴言を家訓と称して家族に強いていただけである。曰く。
「金は天下の回り物」
「明日は明日の風が吹く」
「慌てる乞食は貰いが少ない」
察せられようが母は随分と苦労した。父のパーソナリティについて愚痴を書き連ねるとサーバーの容量が足りなくなるので控えておく。ここだけの話、父は完全にボケてる上に余命半年と宣告を受けているが、畳の上で死にそうなのが歯がゆいくらいだ。その適当な家訓の中で「これは確かに」と頷けるものがひとつだけあった。
「幸せとは明日食う米があることだ」
これはとある親戚筋の人が苦境に立つ我が母を慰めるために言った言葉である。「ほれみろ、うちは幸せなんだよ」と、父が嬉しそうに酒を飲んでた様は、しばし忘れよう。実際、この通り「幸せとは明日食う米があることだ」と今でも思う。もちろん、ここでの「米」は食べるあてがあることの象徴だ。
20年ほど前に大学を中退して以来、東京で自活するようになった。これまで幸いにも食うに困らない程度には仕事に恵まれてきた。まぁ、ボロアパート在住当時など金に困ってた期間もあったのだが、そもそも生来の怠け者で余裕が少しでもあると油断してさぼるため、基本的に金欠でいるのが本人のためにも良いのだろう。
その最も金の無いころ、具体的には絵本の出版社に勤めている頃につくづく思った。「幸せとは明日食う米があることだ」と。金に困っても米があれば何とかなる。梅干、鰹節、醤油に塩。極貧の頃はそれらを駆使して弁当を作ったものだ。しかし米が無いとどうにもならない。最後の方は粥にしてみたが腹持ちが悪くてやりきれない。
一年少し前に独立起業したが、周りの不安が的中し怠け癖が出てしまっている。当然、収入は安定しない。そんな状況でふとこの家訓を思い出した。とりあえず米びつにはまだ米がある。いや、実際無くなってからあたふたしても遅いのだが、まだ数ヶ月は食うあてがある。この段階で何をうじうじ悩んでいるのか。
そもそも終身雇用や保険・年金といった制度で何十年も安定して食べるあてがあるという状況が人類史ではレアケースなのではなかろうか。そう考えると前述の家訓にもやや不本意ながら頷いてしまう。寂しいのはその家訓を伝える相手が居ないことだが、それも例の家訓が必然たらしめるところなのかと再度頷いてしまう。
まぁ、こんないい加減な家訓の家が一軒くらいあっても良かろう。明日は明日の風が吹くさ。
ナイス!
真面目な話、現在耕作放棄地を物色中です。
(林オタ会で以前お会いした個人事業主)
焚き火さん、コメントありがとうございます。
耕作放棄地ですか、何か興味をそそられますね。
開墾から収穫までは相当苦労するようですが、良い土地が見つかると良いですねー。
はじめまして、岐阜県各務原市で飲食店を営んでおります。
SaltyDogさんの『焼きそば名店探訪録』を偶然見つけましてこちらのサイトへたどり着きました!
当店の看板メニュー『肉塩やきそば』は日本一美味しい塩やきそばと自負しております!
そこでSaltyDogさんが東海方面へのやきそばツーリングに行かれる時には是非!!当店へご来店いただきたいと思いご連絡いたしました!
是非ともよろしくお願いいたします!!
おこし屋Jさん、コメントありがとうございます。
各務原市の鵜沼にあるお店なんですね。
ちょうど一ヶ月ほど前に中京地域をぐるっと巡って来たのでしばらく先になりますが、
また再訪した際には寄らせていただくかも知れません。
その折にはよろしくお願いします。
SaltyDogさんわざわざご返信ありがとうございます!!
スタッフ一同お待ちしております!