映画『告白』観てきた


映画『告白』を観て来た。
あんなに客席が静かな上映は初めてである。
終始しわぶき一つなかったが、それだけの緊迫感ということだろう。
んなわけで、たまには真面目に感想を書いてみる。
ネタバレ的なものもあるかも知れないのでご容赦を。(ネタバレが嫌なら閉じてー!)
この映画は主人公・森口悠子(松たか子)がファミレスから出て慟哭した後の独白、
「バカバカしい」という台詞に、監督が観客に期待する感想が集約されると感じた。
教え子でもあり愛娘の仇でもあるガキども、そして主人公の自分自身の行動
=教育というあからさまな建前の下で行われる容赦ない復讐。
その全てが冷静に考えると「バカバカしい」のだ。誰も何も得しないお話である。
教師の森口悠子は、本来は物事の捉え方を弁えた大人である。
当たり前な話だが、感受性も行動原理もガキどもとは一線を画す。
彼女は愛娘の死を覆らない事実として受け止めた。
その上で彼女がどのように行動したかを改めて省みると、
大人である彼女としては自嘲気味に「バカバカしい」と吐き捨てるしかなかった。
それがあの場面であり、一連の出来事と自分自身に対する彼女の総括なのだろう。
そしてこの言葉は観客に対しても向けられている。
この映画から何らかの教訓を読み取ろうとする観客たちの「バカバカしい」傾向性、
偽善的な野次馬根性への皮肉が含まれているのではなかろうか。
救いの無いこの物語に対して、どうしたら救いをもたらす事が出来るかと
色々考え込んでしまう人は多そうだ。現に自分もその一人だったことは否定しない。
しかしそれは、年端も行かぬ少年たちの残虐な事件を報じる情報バラエティ番組で
神妙な顔をして訳知り顔に語るコメンテイターと何の違いも無い。
平日午後のワイドショーや夕方のニュースに陳列される使い古された定型句の数々。
そんな光景を見る度に「バカバカしい」と感じてしまうのは私だけではあるまい。
時計の針が戻らないように、既に起こってしまったことは変えられないのだから。
さて。では、この「バカバカしい」作品に、どのように接すべきか?
答えは簡単、いわゆる「おバカ映画」と同様に
娯楽に徹したエンターテインメント作品として接すべきだと僕は思う。
この映画は「無垢で残酷で壊れやすい少年・少女たち」と、
「それぞれの愛に殉じる母親たち」のバカバカしくも物悲しい物語なのだ。
脚本や役者の演技は言うに及ばず、音楽も映像も演出も実際全て良く練られており、
冒頭シーンに始まる異様な緊張感は最後まで一切緩まることは無い。
ここまで観衆をスクリーンに釘付けにする作品は稀である。
僕も、着席前に購入したウーロン茶を上映中は一口も飲めなかった。
正直、松たか子を始めとする全ての演者と中島哲也監督の手腕には恐れ入った。
後味が悪く救いがなくともこの映画は極上のエンターテインメント作品なのだ。
少なくとも少年犯罪やモンスターペアレントなどの社会問題を基準にして
この映画を評価すべきではない。それこそ本当にバカバカしい……なーんてね。
ちなみに僕は原作を読んでから観たが、映画だけの方が堪能できるかも知れない。
(敢えて「楽しい」「面白い」などの評価はしないでおく)
暇でしょうがないからおバカ映画を観るやるか、くらいのつもりで
梅雨の気晴らしに映画館まで足を伸ばすのも一興かと思う。



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