翌朝。
目が覚めてテントのファスナーを開けると、豚汁部隊はすでに何人か出発していた。
Sさんが、昨日の場所でいろいろ片付けていたので挨拶。
テントに戻り、二度寝…というかウトウトとまどろむ…。
しばらくして外から声を掛けられた。
「あの、すみませんが」
出てみたら、作業用ヘルメットをかぶったSさんが立っていた。
片付けている間にトレーニングセンターに車が三台とも出発してしまっていたらしい。
「よかったらタンデムで運んでもらえますか?」
それくらいならと喜んで快諾。昨夜のお礼も兼ねて多少は役に立たねば。
急いで着替えてセローの後ろにまたがってもらって出発。幸い雨はもう上がっていた。
昨日、行ったばかりの避難所なので迷わずに数分で到着。
トレーニングセンターでSさんを下ろし、僕は駐車場へとUターン。
手伝えって? いやぁ、提供できる労力以上に豚汁を消費しそうで…(笑)
戻る途中、何枚か被災地の写真を撮った。
撮影が憚られる気分だったが、誰もいない早朝なのでサイト用に2・3枚。
小千谷の町に刻まれた傷跡は、さっき上がったばかりの雨でまだ濡れていた。
テントに戻り、お湯を沸かしてのんびり朝食。
メニューは具なしインスタントラーメンにアルファ米の五目御飯。
栄養が偏ってるが、気にしない。どうせ東京へ戻れば何でも手に入る身なのだ…。
初めて食べたアルファ米は意外と美味しかった。これで安けりゃいいんだけどねぇ。
食後、余った水は500mlのペットボトルへ移した。
時刻は8:00くらいか。何だか交通量が異常に増えてきたような。
駐車場へも次々と新しい車がやって来つつある。
そういえば今日は日曜日。全国からボランティアとして来たのだろう。
それにしてもボランティアセンターの周辺の路上駐車は酷い。
センターラインも無いような道の両側に路上駐車ってのは、やりすぎでしょ…。
そんな中、豚汁部隊とMさんが帰還。お疲れ様でした、と皆さんに挨拶。
荷物を片付けテントを撤収し、Mさんと今日もボランティアセンターに向かった。
8:40、到着。今日もバイク隊の手続きを済ませ召集を待つ。昨日見かけた人もちらほら。
説明を受けたが、業務内容は基本的に昨日と余り変わりない。
印刷物や物資など届けるものが多少増えた程度か。
9:00過ぎからいよいよ小千谷バイク便の開業。
まずは小千谷駅の裏手、線路向こうの避難所。
テニスコート駐車場との情報だったが場所が分からず狭い農道とかに迷い込んでしまった…。(ーー;
着いたガレージは地図とはだいぶ違う場所だった。
そういった避難所の細かい情報をセンターに還元するのも僕らの役目だ。
二件目は昨日行って誰もいなかった集合住宅。偶然また我々が行くことに。
今日は大家さんが駐車場に丁度いたお陰で、住民のいる部屋番号を確認できた。
一階の住人一人に会うことも出来て一安心。
まだ電気も水道も通じてない中、昨日は仕事に行ってたらしい。
本当にお疲れ様です…。
さて、三件目は卯ノ木という集落の集会所。
大きな地図で道案内して下さるナビゲーターの方に行き方を聞いてみた。
「卯ノ木? もう道が通ったのか?」
被害甚大で情報が錯綜している地域らしい…。
危険なようなら戻ってくるようにと言われて出発。
Mさんが昨日近辺を通ったらしいので先導してもらった。
それにしても何だか生き生きしてるような…。
R117を関越道・越後川口IC方面に進む。
卯ノ木へは通行止の区間を通らねばならない。
「災害復旧活動従事車両」の張り紙のお陰で、すんなり通過。
集落への分岐ポイントがなかなか分からず、多少右往左往したが、
歩いていた地元の方や交通整理の警備の方に道を尋ねて分岐へ到着。
この道を行けばいいのね~、っと少し進んだところで道が無くなっていた。
通行止め区間とはいえ、直前にバリケードも何も無し。
少しスピードが乗っていたらまっ逆さまだったろう。
脇に急ごしらえの迂回路があったので、そちらへ折れて集会所へ。
昨日、この避難所からボランティア7~8人の要請があったのだが、
機材や装備などの準備があるので、詳しい作業内容を確認でここまで来た。
「えっと、ボランティアを派遣する前に作業内容を聞くようにと…」
「えっ? 今、来てますよ、7~8人」
Σ(゚口゚;
情報錯綜で無駄足か…orz
避難所の責任者名や連絡先を聞いて、任務終了~…。
一応、あのデッドエンドにバリケードを要求として報告。
ちなみにあの大崩落が今回の震源地となった活断層そのものの一部らしいです。
11:30過ぎ、ボランティアセンターに戻ったところで丁度昼休みになった。
昼飯はカロリーメイトで充分だったが、ボランティアへ菓子パンの差し入れが山ほどある。
せっかくなので民主党・秋田と書かれたダンボールからありがたく一つ戴いた。
いつのまにかバイク隊の台数もかなり増えている。
取りまとめている人たちが忙しそうだ…。
バイクを見渡すとやっぱりオフ車が多いなぁ…。
っと、ここで気になるセロー発見!
レスキューバイク(RB)隊の一人が乗っていたセローに驚かされた。
ホームセンターでおなじみ、アイリスオーヤマの箱はまぁ時々見かける。
しかしサイドケースはセローでは見たこと無い。
ステーは純正マフラーに干渉しないようになっていた。
メーター周りに付けられたマップケースにはコードが延びてる。シガーソケットか?
恐らくナビも装着できるのだろう…すげぇ…。
このサイドケースに興味が沸き、持ち主に声を掛けてみた。
ヤマハのバイク用品ブランド、ワイズギアから出ている商品らしい。
丁度、開発にも携わったRB隊の方がいたので詳しく聞くことが出来た。
TTRにあのケースを付け、富士山をガンガン走って強度をテストしたとのこと。
両サイドに10kgずつ、バニアにも20kgの荷物を積んで…と嬉しそうに話す。
さすが、単なるボランティアじゃなく、無類のオフロード好き・バイク好きなのね。
要救助者がいる場合、ケースを後ろにずらせばタンデムも可能。
災害時に必要な機能をとことん追及した装備なんだなぁ。
昼食の時間が終わる頃、すぐに動けるバイク隊募集の声。
「腕に覚えのある人、二人いませんか~」
Σ(゚口゚;
「山古志村へのルートが確保されて、そこへ軍手を20組運んでもらいたい。
だが、まだ安全が確認されてないし、いろいろ障害物や段差があるかもしれない。
危険が伴うのでオフロードに自信のある人にお願いしたい。」
Mさんは行く気満々だ。
自分はトライアル技術には全く自信が無いので、今回は辞退することに。
もう一人、手を上げた人がいたので、その方とMさんでペアを組んでもらった。
彼が乗ってるバイクは…ホンダ・シルクロード…!?
「20年前のバイクだけど、これでどんな林道でも走破してるんで(▼∀▼)ニヤリッ」
意気揚々と出発する二人。お気をつけて~!
僕が新しくペアを組んだのは、さっきまでシルクロード乗りと組んでいたHさん。
バイクはモトラ。50ccながらオフロード走破力と積載力にすぐれたバイクだ。
あぶれ者同士、仲良くやりましょと挨拶もそこそこ、12:30、早速午後最初のニーズ調査へ。
向かったのは栄町という地域の団地。物資を積んで、レッツゴー。
相棒は50ccなのでバックミラーを確認しながらのんびり走行。
セローはいつも置いていかれる立場なので、何か変な気分。
到着した避難所は丁度どこかのボランティアの炊き出しが終わって片づけを行っていた。
一人暮らしのお年寄りや身体傷害者、単身で日本語の分からない外国人の有無などを確認。
住宅相談や医療保険などのビラを渡して少々雑談。
必要なのは米・野菜、風呂…うーん、市が管轄の分野が多いなぁ…。
13:00、ボランティアセンターに戻り、一通りの報告を終えてからしばらく間が空いた。
バイク隊の参加者が大勢になり、派遣の準備の方が追いつかなくなってきたのだ。
余剰人員の陰でHさんといろいろ駄弁る。
宇都宮から下道をほぼ24時間掛けてやってきたらしい。すげぇ。
一週間くらい滞在するつもりで米も持ってきているそうだ。
余った僕の食料は彼にあげた。つってもレトルトカレーと缶詰一個だけど。
13:30、ようやく次の派遣GET。
おぉ、またあのトレーニングセンターだ。今度は物資を倉庫で積んで運ぶことになった。
セローもモトラもかなりの過積載で出発。行くのは3度目なので迷わず到着。
物資のついでに、忘れていた持参のお菓子もここで渡した。
少量だけど子供たちに喜んでもらえたら嬉しいなあ。
ボランティアセンターに戻ったのは14:30。
お、Mさんが戻っている。無事に軍手を届けたか尋ねてみた。
「道は四輪も通行できる状態で拍子抜け。軍手はすでに届いてた…」
Σ(゚口゚;
また情報錯綜か…まぁこういう非常時だからしゃーないねぇ。
Mさん「今日は人手も余り気味のようだし、そろそろ引き上げます」
塩犬「そうですね…、俺もそうします」
業務は16:00までしかできないし、派遣待ちのライダーが何人もいるし。
Hさんも明日以降が本番ってことで今日は打ち切り。
Mさんを見送った後、業務終了の手続きをして帰路に着いた。
帰り道もまたあちこち通行止めですんなり進めない。
迂回路をウロウロ探したが結局、往路と同じ道をトレース。
川口町、十日町を経て六日町ICへ着いたのは17:00。
関越道は夕闇の中。眼前に聳える谷川岳と冷たい夜風に、忍び寄る冬を予感した。
関越トンネルを越えると、とたんに弛緩した空気が漂う。この違いは何だろう。
17:45、休憩に立ち寄った赤城高原SA。
被災地から数時間離れたこの場所には、温かいラーメンと丸々と太った猫がいた。
どんなにボランティアで尽くしても、僕らには戻れる日常がある。
その点で被災者との立場は絶対的に異なるし、本当に痛みを分かち合うことは出来ないかもしれない。
でも、だからと言って放っておけないこともあるのだよ。
【行動しなかったことを後悔するより、行動したことを後悔する方がまし】が私のモットーだからねぇ…。
関越道・練馬ICで「災害復旧作業従事車輌」の張り紙を見せたが、鼻で笑われた。
「単なるボランティアなら料金をいただきますので」
ちっ、東京はせちがれぇなぁ…。
mixiのコミュから寄り道していろいろと拝見しましたが、どのテキストも読ませますね〜。感激しました。ことこのボランティア編とか素晴らしいですよ。ありがとうございました!
>>じんさん
コメント投稿ありがとうございます~。
何か今読み返すと照れくさい文ですね…。
この後も全国で地震がある度に被災状況などを気にしてますが
バイクが活躍できる状態の震災って以外に少ないんですね。
ま、無事が何よりですが。
今後ともご愛顧のほど(?)、よろしくお願いします。